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沿革 |
山号 松栄山
創立 万治元年(西暦一六五八年)四月八日
開山 蓮池院日儀
開基 青山伊賀守藤原ノ忠勝
万治元(一六五八)年四月八日の創立と伝わる。開山蓮池院日儀。開基檀越青山伊賀守藤原忠勝。真言宗から身延山久遠寺の末寺として日蓮宗に改宗したと伝えられる。最初、「長福寺」と称したが、九代将軍家重の幼名「長福丸」をはばかって享保元(一七一六)年八月に現称とした。(創立は、「麻布區史」によれば寛永七(一六三〇)年または明暦元(一六五五)年三月十五日とあり、「港区史 上巻」によれば明暦元(一六五五)年三月十五日とあり、「御府内寺社備考 第六冊 時宗・法華宗」では寛永七(一六三〇)年とある)
本堂前の題目塔(寛政十二年 西暦一八〇〇年)には開運毘沙門天王安置と彫られており、当時は多くの参詣者で賑わっていたものと思われる。毘沙門天像は現在も本堂内に祀られている。
昭和二十年五月二十五日の大空襲にて本堂・庫裏が全焼。先代住職は満州に出征中であったが、先々代住職夫人・先代住職夫人は釈尊像・日蓮聖人像・毘沙門天像等を避難させ、一難を逃れた。
昭和四十四年四月に本堂、昭和四十九年十一月に庫裏がそれぞれ復興された。墓地内供養塔の屋根の上にある宝珠はこの本堂に設置されていたもの。
平成十三年十一月に、六本木六丁目地区市街地再開発事業(六本木ヒルズ建設)により現在地に移転。現在の住職は第二十四世。
歴代住職:
開 山 |
蓮池院日儀 |
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寛文4・1・21(1664) |
第2世 |
圓受院日恩 |
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貞享5・5・27(1688) |
第3世 |
心性院日惣 |
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正徳3・9・8(1713) |
第4世 |
了円院日伊 |
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享保3・6・22(1718) |
第5世 |
慈講院日演 |
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正徳6・6・25(1716) |
第6世 |
真如院日龍 |
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享保2・3・11(1717) |
第7世 |
尭円院日是 |
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延享4・1・9(1747) |
第8世 |
智心院日養 |
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明和2・8・25(1765) |
第9世 |
真了院日是 |
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延享4・11・20(1747) |
第10世 |
潮圓院日瑞 |
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明和2・8・25(1765) |
第11世 |
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第12世 |
知海院日良 |
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第13世 |
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第14世 |
智順院日逮 |
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第15世 |
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第16世 |
潮久院日清 |
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文政11・8・28(1828) |
第17世 |
融玅院日帝 |
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第18世 |
能牙院日光 |
矢部日光 |
明治10・2・11(1877) |
第19世 |
傳牙院日應 |
矢部日應 |
明治24・9・24(1891) |
第20世 |
天牙院日乗 |
内山海能 |
明治30・8・16(1897) |
第21世 |
妙牙院日喜 |
山口海近 |
大正11・1・1(1922) |
第22世 |
正牙院日光 |
小山海見 |
昭和2・3・25(1927) |
代 務 |
白牙院日達 |
稲田海素 |
昭和31・2・26(1956) |
第23世 |
法牙院日澍 |
小山海信 |
平成14・1・17(2002) |
第24世 |
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小山信正 |
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歴代上人の墓
題目塔 |
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